littleMYの日記

自分が経験して、考えたことを記録するブログです。

日本における人種差別

 

私には、台湾の友人がいます。その子は、台湾の服飾の大学を出て、服飾デザイナーとして働き、その会社がつぶれたため、日本で服飾の勉強をして、自分のブランドを立ち上げたいと思い、一念発起して、日本にまずは語学留学をして、この春ようやく留学生という立場で専門学校に入学しました。

 

私は語学の留学をしているときに出会ったのですが、ものすごいの一言に尽きます。

 

彼女はまず、機械系が強い。私よりもアイフォンの機能を熟知していたり、お金がないながら、工夫をして、よりアートな作品を次々と作っています。特に百均を活用したり、白い紙を買ってきて、自分でイラストを描いたりして手紙を書いてくれていました。手作りのカードなんてもらったことのない私としては、とっても嬉しかったです!!

 

そして趣味はとても幅広く、オタクから古典、構造建築、音楽もポップスからクラシック、ジャズ、、、、などなど、、、

 

初めの頃は、スムーズに会話ができなかったのに、半年後はスムーズに会話ができているし、さらには日本語で難しいテーマ(社会問題)についてのプレゼンテーションもこなしていました!!!

 

そんな彼女にとても私はもっと自分も世界のいろいろな違いを知ってみたい。日本は世界的に見てどんな風に物事を考えやすい傾向がある人種なのか、、、と考えるきっかけをくれた人です。

 

今日、彼女が留学先の学校で、とても悲しい想いをしたという話を聞きました。クラスで留学生が2人しかおらず、日本人同士で固まってしまい話せなかったみたいでした。

 

ただでさえ、見ず知らずの土地からでてきて、親友人がいない中の環境はとても寂しいものだと思います。日本人で考えると郊外から、都会へと大学進学に伴って上京をしている人と同じ環境です。ただ、国が違うので、さらに人種、言葉の壁がありますが。

 

日本人は、日本の中でしか生活している人ばかりです。他の国で生活したり、移民の経験がまるでないひとばかりです。だからこそ、あまり接していないからこそ、不思議な目で見る人や、同じ人間として見ることができない人がいるように感じます。だから遠まきに見ているだけになるように感じます。目が合っても、にこりともしない。存在しているのに、存在がないようにみる。そんな感じで。

 

日本人のある意味での、海外の人に対する人種差別の根源を見たように感じます。

 

海外の人も同じ人間です。日本人だけが感情があるのではなくて、人間、みんな感情をもっています。無視されて平気な人は世界中探してもどこにもいません。

 

みんな耐えているんです。

 

そのことを感じたときに、日本に留学する人は、日本独自の集団行動について不可解な見解を抱いたり、日本人のみんな一緒の考え方に違和感を感じるように思います。

 

そんな国に果たして、留学生は来てくれるのでしょうか?

 

日本の企業は素晴らしいと言っている外国人は果たして現在いるのでしょうか?

 

過去の栄光に縋りついてばかりいる国になってはいないでしょうか?

 

そんな人たちは、きっと海外の人からは、残念な人に思えたり、くだらない人に思えるのではないでしょうか?

 

実際、経済より学問よりも、文化、、、主にかわいい文化、、、ロリータファッションや漫画、歌舞伎など、、、

 

つまりは、今の日本は過去の栄光にすがりついている人が多い国ではないでしょうか?その変化にいち早く気が付き、軌道修正できる人が今後求められるのではないでしょうか。

 

日本の現状を危惧する出来事が、友人を通してとても感じました。

 

2020年は東京オリンピック、、、、

 

その頃には海外の人に、日本っていいな~、と思われる日本にならなければ、少子高齢化の日本に未来はないのではないのかな~なんてちょっと考えてしまう今日この頃です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

無駄な努力は、ない。

 

3月20日(日)は、管理栄養士国家試験の日でした。

 

私は、受けました。本当のところ今回で5回目でした。合格条件は60%をとることで

、私はいつも58%の辺りをぐるぐるしている日々でした。あとちょっと勉強すれば、合格できると思い、毎年のように、あとちょっとだった、、、、と思うだけで、結局のところそのうちとれるだろう、、、そんな甘い考えばかり考えいました。

 

そして、今回も自己採点で、半分もとれていない、、、

 

正直自分の頭の悪さ加減にびっくりしているのと同時に、無力さも感じました。自分より栄養士としての経験がない人が、合格していく中で、そんな人たちに自分は物事を教えていく悔しさをとても感じていました。

 

私も実際思っていたことですが、管理栄養士に合格した人(主に新卒)はどこか、栄養士を低く見る傾向があると思います。実際に学ぶ内容や、国家試験なので、違いはありますが、私から見たら、名前よりも、その人自身が仕事に還元できるかどうかにかかっていると思います。

 

負け犬の遠吠えと思われるかもしれませんが、正直なところです。

 

管理栄養士国家試験を長年受けてみて感じたことは、問題は日々進化しているということです。法律やデータが変わっているので、毎年毎年、新たな気持ちでチェックしていかなければならないということです。ただ、忘れているところを覚えるほかに、新たに加わった項目、法律を必ずチェックしなければならず、かつ、ところどころ変更になった点があるので、自分で理解しなければならないということです。

 

今までは、ただ自己採点をして、結果に一喜一憂していましたが、自分がどこをどうして間違えたのか、自分の思考の癖、原因を追究することの大切さを感じました。それをやらなかったから、今まで自分は失敗ばかりしていたのか、、、そんな風に改めて感じました。

 

1発で、ビシッと決めなければ、どんどんどんどん、ドツボにハマってしまい、やる気が出てこなくなる現象に追いやられます。

 

正直、きついの一言です。

 

今年は、テストの結果云々よりも、自分には管理栄養士は向いていないのではないか、、という問いです。

 

自分が得意なことだったら、きっとスッとできるはず。もっと自分にあったものを見つけたほうがいいのではないか。そんな気持ちが溢れてきました。

 

実際、私の傾向としては、自分の不得意で勝負しようとする癖があります。自分の不得意を埋める努力をして、それで挑んでしまうのです。

 

よくよく考えれば、得意なことで挑めばいいのに。

 

そうなんです。しかし、なかなか自分の性格は変えられないので、軌道修正するのが難しいのです。

 

それを受け入れたうえで、思ったのは、

 

今の努力を無駄にはしては、いけない   ということ。

 

負けたって、最後に勝てば、いいんだから。そう感じ頑張ろうと思います。

 

しかし、今を楽しく生きることを忘れずに。テストだけがすべてではなくて、人生はいかに楽しく生きることにかかっているのだから。

 

楽しければ、しあわせであれば、それでいいように思います。

 

この時期、結果がでてしまい、うれし涙を流す人もいれば、悲し涙を流す人もたくさんいると思います。

 

しかし、その経験をどう生かすのかが大切なので、結果がすべてではありません。

 

結果は自分の人生の最後に、生きていてよかった、、、と思えること、それだけでいいと思います。

 

 

 

 

 

第一回目の卒園式

 

19日(土)は、私が勤めている保育園の第一回目の卒園式でした。

 

とても感慨深い卒園式でした。

 

オープンからの1年間のいろいろな想いがこみあげてきて、とても感じるものがありました。第一回目ということで、とても忘れることのできない卒園式といっても過言ではありません。

 

5歳児クラスは全部で5人で、初めは1人から徐々に増えていきました。

 

まるで、仲間が1人づつ増えていったように。。

 

5人のストーリーがかけそうなくらい、みんなそれぞれ抱えている悩みや大変な環境もあります。それを乗り越えて、元気にしている姿を見ると、小さいながらにすごいなと感じます。

 

子供と言えど、6歳のみんなはもう自分たちで自分たちの世界を作っています。その姿を間近で見ていると、羨ましいと感じる部分もあります。

 

私が戻りたくても戻れない世界がそこにはあります。

 

悩みも多い分、可能性をとても感じます。この子たちが未来を背負っているんだと思うと、たくさん興味を持って欲しいし、たくさん良いところを伸ばしてほしい。

 

そして、自分で自分の色を形作ってほしい、、、そう感じます。

 

ま、その手助けをするのが、私たちの仕事なのですが。

 

なんで保育士さんは安月給でも、辞めないんだろう、、、、

 

そういう問いに、保育士さんは、【今まで頑張ったことが、すべて報われる瞬間があるから】

 

そう答える人が多いそうです。

 

私も確かに!!と感じます。

 

子供たちと関わって、そして卒業する瞬間を迎えたときに、なんとも言えない幸福なときがそこにはあります。

 

決して自分の子供ではありませんが、保護者よりも子供とのたくさんの時間を過ごしてきて、保護者も気づかないことに気づいたり、成長を間近で感じ、その子たちが卒業となると、寂しい気持ちとうれしい気持ちでいっぱいになり、夢を託しているような気持になります。

 

小さいころの記憶は、なくなってしまうかもしれません。しかし、その頃に体験したことや感じた想いはきっとどこか心の隅にでも残るはずです。それを、その想いをずっと人の心に残せる仕事は、いくらツラくても、平気にさせてくれる力があります。

 

私も栄養士として、毎日子供たちに接してきましたが、保育士さんと同様同じ気持ちです。

 

私達の仕事は、お金の為にやっているわけではない仕事です。給料ももちろん安いです。嫌になるときももちろんあります。しかし、それ以上に与えられることが多い仕事でもあります。

 

それがあるから、安くても辞められない自分がいるんだと思います。

 

その想いを卒業式を通して、改めて感じました。

 

 

年度末の保育士の子供への関わり方

 

 

 

あれよあれよという間に、気が付けばもう2月も終わり、もうすぐ3月になりますね。3月と言えば、卒業のシーズンです。保育園もお別れの時期が近づいてきました。

 

知り合いの保育士さんと話をしていた時に、こんな話を聞きました。

 

『わざと子供に距離を置く』ということでした。

 

なぜそんなことをするのか、もちろん不思議に思う方もいると思いますが、その保育士さん曰く、それが子供のためだからだそうです。

 

自分に依存しないために。

 

その話を聞いてた時は、ハッとさせられました。もちろん子供たちに好かれることは大切だし、子供に愛情を注いで甘えさせるのは時には必要です。しかし、今の年度末の時期、それをしてしまうと、子供たちが保育士に依存しすぎてしまい、次の学校だったり、次の担任に迷惑をかけてしまうからだそうです。

 

子供のためを思って、わざと突き放す。

 

これは、大人の人間関係においても当てはまるような気がします。

 

たとえば、部下が子供上司が大人だとすると、上司は部下に対して優しく、なんでも手取り足取り教えて、愛情を注いでいるとします。しかし、部下はその上司がいなくなってしまったら、自分で自ら率先して動く人になるでしょうか。

 

おそらく違います。依存していた部分があるので、寂しく、そして甘えが残ってしまって、できることまでもできなくなってしまうと思います。

 

そうならないためにも、最後釘をさしておく、これは必要なことだと感じます。

 

だれしも、依存するものを持っています。しかし、依存の比重が重すぎると、悲しい結末が待っているのかもしれません。

 

 

 

 

面子

 

『あなたの国でコミュニケーションをとるうえで重視していることは、何ですか?』

 

この問いは学校で出された宿題で、友人の台湾の子が、一生懸命に考えていました。そのチェックを頼まれた私ですが、奥が深いぞと感じました。

 

普段なかなか語学の勉強をしている人が近くにいないので、その子はどんな勉強しているのか気になりますよね。ということでちょっと紹介。

 

日本語学校では、日本語を自分で考えて話す能力を育てるために、グループディスカッションが多いらしい。そのうえで重視するのは、ただ話をするだけでなく、自国と日本の比較が多いらしい。

 

自国と日本を比較することにより、違いがより顕著にわかりますよね。

 

また、日本の文化や社会、生態の仕組み等幅広くディスカッションするようで、私自身も知らなかったことを、日本語で教えてくれるので、とても為になります。

 

普段何気なく使っている日本語の正しい、正しくないのことは、ネイティブの私達にしか感じられない、無意識のうちにわかることが多いようで、それを勉強することはとても大変なようです。日本語は擬音語も多いし、ひらがな、カタカナ、漢字と多いので。

 

話を戻すと、『コミュニケーションで何を重視するのか?』ということで、

 

台湾の子は、中国・台湾では、『面子』を重視する傾向が多いそうです。

優先順位は①面子②お金③家族 が多いそうです。

 

日本の感覚ではあまり理解が難しいですが、『面子』。。。。。

 

たとえば、お金がないのに、相手によく思われたいと思い、ご飯を御馳走するなど、、、

 

日本でもそういう感覚がありますが、とくに台湾・中国ではその意識が特に重きをおいているそうです。ただ、最近の若者は海外のことにも目を向けているので、必ずしも面子のみに重きを置いている人ばかりではないようですが。

 

そう考えると、日本の優先順位は何でしょうか?

 

 

空気を読むこと?そんな気がしてしまいます。

 

 

 

 

音楽レビュー【スピッツ】

 

p>最近ずっとリーピートしまくりなのが、、、

 

スピッツさんの『君が思い出になる前に』

 


家入レオ カバー「君が思い出になる前に」

 

家入レオちゃん、カバーですが。。。彼女の歌声もとっても好きです♡

 

 

とってもいい曲で、ほんわかします。スピッツさんの曲はどれも歌詞が深くて、あったかい。その上、優しく、背中を押してくれるような歌詞が多い。

 

実際、スピッツさんがとても活躍されていた時期は1990年代。私はとても小さかったけれど、小さいながら何かを感じていました。

 

しかし、大人になってから聞くとまたいいもので、ずーーーっと聞いていられるような曲です。

 

スピッツさんで私がおすすめなのは、


スピッツ / 空も飛べるはず

  • チェリー


スピッツ / チェリー

  • スパイダー


スピッツ / スパイダ

 

ちょっと古いということなかれ!!曲に新しい古いもないなと日々感じています。いいものは時代を超えて支持されていると思います。

 

あーーーー、優しい気持ちになれました♡

 

映画レビュー 『銀の匙』

 

深夜に地上波初放送された『銀の匙』を見ました。

natalie.mu

 

とにかく、現実的だなと感じました。私は農家の生まれでもないもで、全く知らない環境がそこにあることに、驚きました。

 

正直、自分は小さい頃から好きに生きてきた部分があり、農家の子みたいに、将来のことや親の後を継ぐということに対するプレッシャーが全くなく、自分で考えて、好きな道で進んできた部分においては、制限なく、自由な環境だったんだなとしみじみ感じました。

 

子供のときから、親の手伝いをするのが当たり前、動物の世話をするのが当たり前、、、そんな生活をしている農家の子供たちは時に息苦しさを感じることもあるのかもしれませんが、私から見たら、自然の中でたくましく育ち、自然の素晴らしさを感じられ、さらには自分たちで作った作物を食べ、成長できるのは、本当にすごいことで、羨ましく思います。

 

一方で農家の子供たちは、サラリーマン家庭が羨ましく思うのでしょうが。それは、きっと私も農家の子供だったら、思ったのかもしれませんし、ないものねだりなのかもしれませんがね。

 

映画で『銀の匙は生まれたときから農家の子供が持っているもの。一生食べるのに困らない』そんな話をしていました。確かに、お金も大切ですが、一番は食べ物に困らないことの方が必要ですからね。

 

この映画を通して、主人公を通して、家畜を育て、出荷し、食べる。この一連の行為から、【食べるという行為は命を頂く】さらには、必死に生きなければいけないんだなということを感じました。

 

農家の人は、【家畜=経済動物】として農家の人は考えることで割り切り、感情を殺しているようにも思えました。

 

常にその現場で隣り合わせだからこそ、食べ物の必要性をより感じているようです。

 

 

以前見た、

www.amazon.co.jp

 

も、思い出しました。

 

 

とても、何かを感じる映画でした。ぜひ、見ていない人は、、、!!