位牌を見て思うこと。
皆さんは、『信士』『信女』って、何のことかご存知でしょうか?
私は実際よくわかっていませんでした。
しかし、今日は祖母の初盆。。。
よくよく見ると、わけのわからない漢字が横についているのではありませんか。
『~信女』と。。。。
これをよく調べてみるとなるほど~と感心しました。また一つ繋がりました。
そもそも、『信士』『信女』は、仏教の戒名(法号)に用いられる称号で、地位や性格を表す位号の1つです。
所謂、なくなった後の名前です。
そもそも戒名とは、
位牌の表面に記される戒名は、仏の弟子になったことをあらわす名前です。
本来は出家して仏門に入り、守らなければならない戒律を受け入れた弟子に与えられる名前です。
現在では、故人をたたえ、仏弟子として浄土に往生するために、菩提寺の住職から故人に戒名を授けてもらいます。菩提寺のない人は葬儀を取り仕切る僧侶に授けてもらいます。
戒名はもともと二文字で構成されていました。それに院号、道号、位号などが加わり長くなり、一般には全体を戒名と称しています。
そもそも、なぜ戒名はつけられるのでしょうか?
現在では亡くなってから戒名が授けられるというのが一般的ですが、本来は生きている間に戒を受け、仏弟子としての生活を送ることが理想です。実際に大半の寺院では、生前に戒名を授けること(生前戒名)を行っています。
仏式の葬儀では当然のことながら僧侶が式を取り仕切り、引導が死者に対して渡されます。「引導を渡す」といえば「縁切り」の代名詞のように使われていますが、俗世間から浄土へと引き導くことが引導の本来の意味です。
僧侶は亡くなった人を、葬儀を通じて仏の世界、すなわち悟りの世界の彼岸へと送り出します。仏の世界に往くのに俗名のままでは行けないということで、死者に戒を授け戒名を付けることで極楽浄土へと送り出すわけです。
ここまで、読んだ方は察しがつく方もいると思いますが、
日本人は宗教を持っていない、と思っていますが、、、
実際は日本人は仏教徒がほとんどではないでしょうか。ただ、自覚がとてもないだけで。私もその1人でしたが。
そのもととなるものは、江戸時代の寺請制度によるものではないでしょうか。
本来信仰していたならば、せめておじいちゃん、おばあちゃんがもっとお寺に行っていたはずだし、なくなった時だけお坊さんを呼ぶのおかしなことではないかと思います。
そもそも、寺請制度は、江戸時代、日本にキリスト教が広まることを恐れた幕府が弾圧するために、キリスト教を信じる人をなくすために強制的に作られた制度です。
広島、長崎で多くのキリシタン達が迫害を受けていたのは、小学校の時の社会で学びました。
しかし、あの時は全く分からなかったのですが、今は、思想の自由があの時代にはなかったんだなと悲しくさえ思います。
幕府はキリスト教が広まるより、広まってしまうと、天皇を神と信じていた国民たちが従わなくなると思い、キリスト教を弾圧しました。
それよりも、自分と向き合う仏教を国の宗教にすることを無理やり全国民に名前、名簿だけ書かせることにより、広めることを阻止しました。
だからこそ、今信じてもいない仏教の教えを伝統として、亡くなる最期を締めくくるのは不自然だし、伝統の起源が、幕府のキリスト教を迫害しようとするために、無理やり日本人を仏教徒にしたそのこと、それが今の日本の文化を作っていることは、とても文化と歴史は密接にかかわっているんだなと感じます。