littleMYの日記

自分が経験して、考えたことを記録するブログです。

惜しいと言われてしまう人へ

惜しい!!と言われてしまう人、、、、

 

私ですね。

 

頑張っているし、手を抜いていないのはわかる。

だけれど、結果を見ると惜しいと。

 

言われたことのある私。。。。

 

どうすればよいのか、、、、自分でもわからず、、、、

 

 

しばらく長考した後考えたことは、、振り返らない!

 

失敗を反省し、次に生かしていない。。。そのことに気づきました。

 

当たり前のことが当たり前にできていない。。。

 

それに気づいたとき、猛烈に恥ずかしい気持ちになり、なんでできていないんだ、自分はと思いました。

 

いやはや、、、、、。

 

内省をしよう。っと。

 

それが足りないことに気づいたことでも、OKとしよう。

 

さらにどうしようか、、、と思っても考えるたびにつらくなるので、

 

息を抜きながら、頑張りますかっと!!

 

 

 

今のここにいる!

ひたすら寝ること、10時間。。。。

 

吹っ切るにはまだ少しかかりますが、しゃんとした気持ちになりました。

 

自分の状況を見つめてみたときに、ああ、、、自分は頑張ってきたな。。

 

1つ1つ、頑張ってきた。

 

それは認めようと思いました。

 

自分で自分を褒めてあげないと、ダメだなと。

 

私は自分を否定しやすいのですが、否定することは時には大切ですが、どん底まで落ちたときに否定しやすい環境に追い込まれるのですが、まずは自分自身を認めてあげること。

これがとても大切だと思います。

 

それすらできなくなったら、私はなんでここにいるんだろうという虚しさがこみあげてくると思います。

 

ツラくても、現実は厳しいけれど、今私はここにいる。

 

それだけでも幸せなこと。

 

そして今までの経験すべてに意味があることだと思い、経験から学べることを学び、

次に生かしていくこと。。

 

その積み重ねが人生なのかなと思いました。

 

その中で一番自分の心情とこの音楽が私にとって優しさをそっともらいました。

 

感謝♡

 


すずさんのありがとう

 

映画の宣伝の動画ですが、失敗しても反省し、生きていけば大丈夫っと!

 

 

 

思考停止。

前回のエントリーで、仕事を辞める前に確認しておきたいこと。。。

 

など、偉そうに書いてしましましたが、、、

 

まさか、、、、次に書くブログが仕事を辞めた後に書くとは、、、思いもしませんでした(笑)

 

 

 

 

人は他の人のことは冷静に分析できますが、自分のこととなると途端にわからなくなりますね。

 

私の場合は、職場の人間関係が良くなかったのが原因です。

事の発端は、11月にいきなり職場に行ったら、自分の席がなかった。勝手に移動させられていたことです。

 

上司が勝手にやったことですが、理由として、みんなで使うデスクだから移動しても問題ないと思ったからとのこと。

 

いったいなんだその言い訳は、、、、と思いました。そこに不信感といらだち、悲しみもあり、とりあえずは我慢しようとしましたが、

 

日々の仕事の多さと人間関係の気まずさに、自分の心は参ってしまいました。上司の上司の対応も、上司の機嫌をうかがうようなものだったし。

なにより同じ職場の同僚もスルーしていて。

 

人間関係をはじめ、仕事内容も自分のキャパを越えてしまい、何も考えられなくなり、その中でミスを厳しく指摘され、日々仕事をしていくことが苦痛になり、自分の存在意義を否定されているように考えてしまい、人におびえるようになりました。

 

経理、往診助手、その他往診のレポートや各種機関の調整、外来対応、電話対応。。夜中は24時間体制のため、携帯電話を持ち帰り対応。さらに週休2日制。。。

 

これは、自分がうまーーーく調整して、メリハリをうまく調整できていなかったのも原因。

 

いろいろと自分にも不足な部分が多かったのは事実ですが、注意をしてくれる人は善意だと思いますが、キャパを越えた人間にとってみれば、耐えきれない。それに尽きます。

 

自分はなんでこんなにもできないんだ。ダメな人間だ!!と思いやすく、最終的にはもとの状態に戻るのも少し時間がかかりそうです。

 

自分は何が得意だったんだっけ?自分は何が好きなのか?

 

それすらわからなくなりました。

 

まさに思考停止状態。。。。。

 

いい人生経験になったけれど、その分もとのいい状態に戻るのも時間が必要ですな。。。。

 

 

仕事を辞める前に確認しておきたいこと。

 

最近職場の方の娘さんで、急に仕事を辞めたという話を聞きました。以前から職場に不満があるということは聞いていましたが、辞めるとは。。。

 

入社1年目で、某優良企業、8:30~17:00で、経営戦略課にいた女の子でした。

 

辞めた理由として、

● 仕事でやることがない。

  ➡ほぼ1日デスクの前にいるだけ

● 隣の異性の上司が気持ち悪い

 

らしいです。。

 

本当にこれだけのことで辞めるんだろうか、、、、と考えてしまいました。

 

その人はやめる際に、会社の方から、他の部署に移らないかということを言われたのにもかかわらず、拒否し、次の日から無断欠勤をし始めたらしいです。

 

そのことに対し、会社に告げたのも11月の初めですが、会社も11月末までで、もう来なくてもいいよと言われたらしいのです。

 

いやはや、、、、何とも言えない。

 

自分も投げやりになって、自分がそうなっていたのかな、、、、と

 

うーーーーーーん。。。。

 

そこで、私は問題だなと思ったのは、会社の人ではない誰かに相談したのかな?ということ。

 

そういう友人はいたのかなと。メンターってやつを。

 

そういう人がいない場合は、個人の思い込みだけで、動いてしまう可能性があると感じました。

 

自分の固定概念だけで物事を捉えてしまって、本当に大丈夫かな?と考える必要があるのではないかなと感じました。

 

自分だけの方向だけではなく、他の方向も見つめてみることの大切さ。。。

 

それを、まず、仕事を辞めようと思う前に、辞表を出す前に、しておいた方がいいことだと思います。

 

辞めてからでは、わからないこと、後悔してしまうこと、、、

 

初めて気づくこともあると思います。

 

また、思考を修正し、あ、、こういう選択肢もあるんだ!と選択肢を増やしていくことも、自分の思考の柔軟性にも役立つのではないかな?と感じました。

 

もしそれもわからなくなったら、、、

 

辞める前にちょっと仮病でも使って、リフレッシュすればいい。

 

1日くらい休んでも、大丈夫。

それ以上は、そのまま辞めてしまいがちの無断欠勤が続いたら問題ですが、、

 

私は~しなきゃ、、、と思いやすいたちなのですが、~しなくてもいい!!と思うことでだいぶ楽になりますし、

 

なにより、なにかに引っかかっていた自分に気づくきっかけにもなります。

 

ほんの少しの休息が必要ならば、ちょっと休んだ方が、正しい判断ができます。

 

ネットサーフィンしてもいいです。

 

自分以外のいろいろな意見に耳を傾けるだけで、大分自分は固定概念にとらわれていたんだなと気づき、

 

よい選択ができるように感じます。

 

また、退職が決まった時も、終わりよければすべてよし!というように、終わり方も、しっかりやる気をもって働いていくことが必要ですよ!

 

それが次の道に進むための、糧にもなります。

 

そう私は思います。

 

 

 

ダリから人生観を学ぶ

 

 

先週、ダリ展に行ってきました。

 

ダリ展|企画展|展示会|国立新美術館 THE NATIONAL ART CENTER, TOKYO

salvador-dali.jp

 

 

ダリ、、、私は細い彫刻が好きだったのですが、絵を特に見たことがなかったので、見に行きました。そもそもダリをよく知らなかったので、どうなのかな~という気持ちで、ダリさんを訪ねました。

 

とても、、、、歪んでいるなと感じました。

 

自分の絵を見たストレートな感想なのですが、なんで私は歪んでいるように感じたのか、、、それを分析すべく、ダリの人生を探ってみたいと思います。

 

 

スペインに生まれたサルバドール・ダリ(1904年-89年)は、もっとも有名な20世紀の芸術家の一人です。1929年に彗星のようにパリの美術界に登場し、シュルレアリスムを代表する画家として活躍しますが、やがてアメリカに進出、大きな成功と人気を獲得します。その一方で、映画や演劇、ファッションなどの異分野へも積極的に参画して、ウォルト・ディズニーやエルザ・スキャパレリなどとコラボレーションを行い、次々と著作を発表して、ジャーナリズムやメディアにも盛んに登場しました。芸術と芸術家のあり方を変革したダリは、まさに現代美術の先駆者の一人ということができるでしょう。

 

引用 ダリ展より

 

そもそも、シュルレアリスムとは、なんでしょうか?

 

自分の『意識外』の部分を描く表現方法です。

 

『意識外』ということは『無意識』の部分を表現するということです。無意識の部分を描き出すことで、自分が本当はどうゆう人間なのか、自分が本当に思っていることは何なのか、自分以外のものや、自分以外の人の心の中までも表現するしようとする表現運動(表現方法)です。

 

んんんんん、、、、、、、!?

 

わかりにくいですね。

 

一言で言うならば、自分の思うままに自由に表現すること。

 

現実の目に映るものをそのまま描くのではなく、自分でいろいろな角度からとらえ、自分が描きたいように描きます。

 

自分の気持ちが直接表れているので、、、

 

その中でもダリの迷言?を紹介します。

完璧を恐れるな。完璧になんてなれっこないんだから。
富める者が自分のために戦争をする時、死ぬのは貧しき者の方なのだ。
あなたは、あなたの一生以外の何ものでもない。
我々は決して悪を選ぶことが出来ない。我々が選ぶのは常に善である。
自由であるとは、自由であるべく呪われていることである。
人間の運命は人間の手中にある。
過去とは、所有者の贅沢だ。過去を整頓しておくには一軒の家を持つことが必要だ。私は自分の体しか持たない。
青春というものは奇妙なものだ。外部は赤く輝いているが、内部では何も感じられないのだ。
神々と肩を並べるには、たった一つのやり方しかない。神々と同じように残酷になることだ。
恋はその始まりがいつも美しすぎる。だから結末が決して良くないのも無理はない。
眠い人が眠るように、瀕死の人は死を必要としているのです。抵抗が間違いで無駄だというときが、いずれきますよ。
シュルレアリズムは破壊的だ。しかし、それは我々のビジョンを限定する錠の留め金とみなされるものだけを破壊するものだ。
地獄とは他人のことだ。
私が生まれるということは不条理である。私が死ぬということも不条理である。
もっといい時代はあるかも知れないが、これは我々の時代なのだ。
私は暴力に対して一つの武器しか持っていなかった。それは暴力だ。
人生とは自らの道である。一つのことを試みることであり、一つの道を端的に示すことである。
すべての答えは出ている。どう生きるかということを除いて。
一人一人の人間が究極の絶対的な自由を持っている。
私は同時に他人の自由をも目標にするのでなければ、自分の自由を目標にすることはできない。
人間は自由であり、常に自分自身の選択によって行動するべきものである。
貨幣は私の力を現す。
インテリというのは真の革命家ではない。暗殺者になるくらいが関の山だ。
嘘とは、私がつくったものではなく、階級に分かれた社会に生まれたものである。だから、私は生まれながら嘘を相続している。
沈黙が金なのだ。不在が神なのだ。神とは人間の孤独さだ。俺しかいなかったのだ。
6才の時、コックになりたかった。7才の時、ナポレオンになりたかった。そして、私の野心は、それ以来着実に成長し続けている。
私は天才を自覚している。
天才になるには天才のふりをすればいい。

 

完壁には慣れっこない。。。

 

これはとても本質をついているなと感じました。

 

完璧を目指すよりも自分のできる範囲で、得意なことを伸ばしていった方が、私は良い人生を送れると思うので。

 

さらに私たちは常に悪ではなくて、善を求めている、、、、それは人間の本質ですよね。

 

若干、私はダリは現実をものすごく直視ではなく、暗い部分も知っているが故に、本当はそうではないけれど、現実はこうだよね、、、と語っているような気がします。

 

 

 

ダリ展を初期作品から見ていくと、大分作風が変わっていくのがよくわかります。

 

第1章 初期作品(1904-1922)

ポスト印象主義風の様式

 

第2章 モダニズムの探求(1922-1929)

キュビスムピュリスム未来派などの新しい芸術の影響を受けた作品を制

 

第3章 シュルレアリスム時代(1929-1939)

 

第4章 ミューズとしてのガラ

1929年夏に詩人のポール・エリュアールの妻ガラと初めて出会い、すぐ恋に落ちます。以後ガラは、常にダリに寄り添い、ミューズとしてダリの芸術に霊感を与えるとともに、一種のプロデューサーとしてダリを支援し、成功に導きます。

 

第5章 アメリカへの亡命(1939-1948)

 

第6章 ダリ的世界の拡張

アメリカ滞在中に、ダリは舞台芸術や映画などの美術の仕事を多く行い、ヒッチコック、ディズニー、マルクス兄弟などにも協力しています。また、ファッションや宝飾の仕事にも手を染め、ダリの芸術から派生したイメージは、大衆的な人気を博しました。

 

第7章 原子力時代の芸術(1945-1950s)

ダリは、1945年の広島と長崎への原爆投下に大きな衝撃を受けます。そして、新しい原子物理学の知見と宗教的な神秘主義を結びつけることで、核時代の到来によって決定的に変質してしまった新しい世界における、芸術のあり方を探ろうとしました。

 

第8章 ポルトリガトへの帰還―晩年の作品(1960s-1980s)

 

私がこの中でとても印象的だったのが、原子力にとても衝撃を受けて、それを芸術に生かしたことです。

 

私は原爆を世界の人はどう受け止めているのか、ということにあまり興味は持てなかったのですが、ダリがこんなにまでも絵に生かしていることが、衝撃でした。

 

世界の人たちから見た原爆のことは、ニュースやTVで、外国人の人は戦争を早く終わらせるためには仕方がなかったとか、どこか他人のことを言っているようで、いやでしたが、きっと人それぞれ捉え方、感じ方が違うし、どこか日本以外は自分のこととして受け止めていないからなのかな、と感じました。

 

 

そして、ダリの思想はどうだったのでしょうか?

ダリは、1938年、突然シュールレアリスト・グループから除名されてしまいます。
 

公式な書類では、ダリがヒトラーを崇拝し、ファシズムを支持したため、となっています。ダリは「私は多くの男性が女性を夢見るようにヒトラーの夢をみているのだ」と言っています。

 

ヒトラー、、、、

 

ドイツの首相として第二次世界大戦を勃発させ、反ユダヤ主義に基づきユダヤ人強制収容所でユダヤ人510万~580万人を虐殺した史上最大級の暴君ですね。

 

う、、、、、、ん。。。。。

 

と思っていましたが、

 

ダリ展のアナウンスを聞きながら見ていたのですが、その中で、ダリの自伝の中に

 

『私が後悔しているものは。信じられなかったことだ。』

 

とマリア、イエスの絵画の絵の前語っていました。

 

わたしには、ダリはいろいろなことを行い、感じ、人生をかけて何が大切か考えていく中で、一番は信じることだった。。。と私たちに伝えてくれたように感じました。

 

 

 

 

【映画レビュー】 この世界の片隅に

 

皆さんは、『この世界の片隅に』というアニメ映画をご存知ですか?

 

 

私は先週見てきました!

 

konosekai.jp

 

 

のんさん(本名:能年玲奈)の改名後初作品です。それと同時に、片渕監督が6

年以上もの歳月をかけて制作された映画です。作品に惚れ込み、何度も夜行バスで広島まで足を運んだそうです。

 

アニメ映画化にあたって2015年にクラウドファンディングプラットフォーム「Makuake」で制作資金を募集し、82日間の募集期間中に目標金額を大きく越える約3,600万円の資金を集めてようやく完成した映画でもあります。

 

また、原作者のこうの史代さんが

私たちは戦争を生き延びた人たちからしか生まれてきていない。

その人たちに敬意を示して、生きていきたい。

 

といっていました。それだけでの熱意がすごいのに、

 

更に見た人たちからの絶賛の声がスゴい、、、、

 

 

それだけでも、私はワクワクするのにいざ見てみると、、、凄い!!!

 

初めは、のんさんのナレーションがしっくりこないような気がしてしまったのですが、そうでは全くなく、主人公すずの心情の変化がよくわかり、とてもぴったりだなと感じました。

 

また、映画の内容のその緻密さに驚きを隠せないです。

 

背景の丁寧さに加え、時々出てくるすずが描いた絵。

 

さらにはその当時の生活を衣食住に至るまでまるでそこに自分もタイムスリップしているかのように、すずが丁寧に説明までしてくれていて、、、なんだかほっこりもしてしまいました。

 

戦争のさなかでも、生きなきゃいけない現実だけれど、そのなかで普通に生きていくことは難しい。

 

だけれど、いかに自分でその普通じゃない環境でも、なんでも生きていかなきゃいかんのです。。。とサッというすずが、本当に自分も一緒に住んでいる感覚になりました。

 

さらに、音楽のコトリンゴさんがまたいいです。

優しく、隣にいてくれて、でも本質を優しく伝えてくれていて、、、

 


コトリンゴ -「 悲しくてやりきれない 」

 

最後のコトバも、また、

ありがとう。この世界の片隅にうちを見つけてくれて。

という言葉が、本当に深く、、、、人生って人に見つけてもらえることほどうれしいことはないんじゃいかなと感じました。

 

 

いや~、本当に見終わった後、心があったかい気持ちになったし、

ひとつひとつ意味のあるものなんだよな~と感じました。

 

 

★★★

参考までに、、この世界の片隅に   ドラマもあります。。。

 

びっくりしました。しかし、ドラマとアニメの世界観は違うので。

ドラマだと人間臭さがものすごく出ていて、、、

 

私はやっぱりアニメの方が、好きだなと感じました。

 

終戦記念スペシャルドラマ この世界の片隅に

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

位牌を見て思うこと。

 

皆さんは、『信士』『信女』って、何のことかご存知でしょうか?

 

 

 

私は実際よくわかっていませんでした。

 

しかし、今日は祖母の初盆。。。

よくよく見ると、わけのわからない漢字が横についているのではありませんか。

 

『~信女』と。。。。

 

これをよく調べてみるとなるほど~と感心しました。また一つ繋がりました。

 

 

 

そもそも、『信士』『信女』は、仏教の戒名(法号)に用いられる称号で、地位や性格を表す位号の1つです。

 

所謂、なくなった後の名前です。

 

そもそも戒名とは、

位牌の表面に記される戒名は、仏の弟子になったことをあらわす名前です。
本来は出家して仏門に入り、守らなければならない戒律を受け入れた弟子に与えられる名前です。
現在では、故人をたたえ、仏弟子として浄土に往生するために、菩提寺の住職から故人に戒名を授けてもらいます。菩提寺のない人は葬儀を取り仕切る僧侶に授けてもらいます。
戒名はもともと二文字で構成されていました。それに院号、道号、位号などが加わり長くなり、一般には全体を戒名と称しています。

 

http://www.e-oihai.jp/ihai5-1.htm

 

そもそも、なぜ戒名はつけられるのでしょうか?

 現在では亡くなってから戒名が授けられるというのが一般的ですが、本来は生きている間に戒を受け、仏弟子としての生活を送ることが理想です。実際に大半の寺院では、生前に戒名を授けること(生前戒名)を行っています。
仏式の葬儀では当然のことながら僧侶が式を取り仕切り、引導が死者に対して渡されます。「引導を渡す」といえば「縁切り」の代名詞のように使われていますが、俗世間から浄土へと引き導くことが引導の本来の意味です。
僧侶は亡くなった人を、葬儀を通じて仏の世界、すなわち悟りの世界の彼岸へと送り出します。仏の世界に往くのに俗名のままでは行けないということで、死者に戒を授け戒名を付けることで極楽浄土へと送り出すわけです。 

 

 

ここまで、読んだ方は察しがつく方もいると思いますが、

 

日本人は宗教を持っていない、と思っていますが、、、

 

実際は日本人は仏教徒がほとんどではないでしょうか。ただ、自覚がとてもないだけで。私もその1人でしたが。

 

そのもととなるものは、江戸時代の寺請制度によるものではないでしょうか。

 

本来信仰していたならば、せめておじいちゃん、おばあちゃんがもっとお寺に行っていたはずだし、なくなった時だけお坊さんを呼ぶのおかしなことではないかと思います。

 

そもそも、寺請制度は、江戸時代、日本にキリスト教が広まることを恐れた幕府が弾圧するために、キリスト教を信じる人をなくすために強制的に作られた制度です。

 

広島、長崎で多くのキリシタン達が迫害を受けていたのは、小学校の時の社会で学びました。

 

しかし、あの時は全く分からなかったのですが、今は、思想の自由があの時代にはなかったんだなと悲しくさえ思います。

 

幕府はキリスト教が広まるより、広まってしまうと、天皇を神と信じていた国民たちが従わなくなると思い、キリスト教を弾圧しました。

 

それよりも、自分と向き合う仏教を国の宗教にすることを無理やり全国民に名前、名簿だけ書かせることにより、広めることを阻止しました。

 

だからこそ、今信じてもいない仏教の教えを伝統として、亡くなる最期を締めくくるのは不自然だし、伝統の起源が、幕府のキリスト教を迫害しようとするために、無理やり日本人を仏教徒にしたそのこと、それが今の日本の文化を作っていることは、とても文化と歴史は密接にかかわっているんだなと感じます。